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「弱さって、いったい何だろう?」
以前、こんな問いかけで始まるドキュメンタリー番組*がありました。
そこでは、何を話していたか忘れてしまうロボットやゴミを見つけても自分では拾うことができないロボット、通称“弱いロボット”たちと、思わず手助けしてしまう人々との交流が繰り広げられていました。そこにいた人たちは「自分と同じだな」、「なんか忘れてると助けたくなる」、「捨てることが苦じゃない。喜んでくれるから」と言い、ロボットにどこか親近感を抱いているようでした。
実験を終えた学生さんのこんな言葉も印象的でした。「自分ができなくてちょっと困っているときに、助けてもらえないじゃないけど、気づいてもらえないのは悲しい。(でも)興味を持ってもらえたのが嬉しかった。人がいないとちょっとした一つの目的も自分一人ではできない、そういう存在のロボットがあるならば、そういう存在の人間もいてもいいのかな」。
病院で出会う人たちからも「弱い」という言葉がよく聞かれますが、”弱いロボット”のそれとは異なり、自分は「ダメだ」、「自分で何とかしないといけない」、「居る価値がない」といった言葉が続くことが多いなと感じます。ただ、最初からそう思っていたわけではないだろうとも思います。気づいてもらえないことが続くとあきらめて自分で何とかするしかないと思うのも無理もないし、無視された、からかわれた、罵倒されたといった経験が重なって人が怖くなると、隙を突かれないように完璧にしようとしてますます自分をダメだと思ってしまうのも不思議じゃない。そのつらさや傷つきから守るためには心を閉ざすしかなくなる人がいてもおかしくない。でもそこに、”弱いロボット”の周りにいた人たちのような気づいて手を伸ばす人がいたら(いると思えていたら)、この学生さんのような気持ちになっていたかもしれないと思うのです。
“弱いロボット”の開発者でコミュニケーションの認知科学が専門の岡田美智男さんが最後にこう締めくくっていました。「本来、人は自分の中で完結できずに周りにゆだねたり周りから頼られたり、そういうつながりを持って生きてきたはずなんだけど、それがいつの間にか自分で何とかしなきゃいけない、周りにゆだねるところを踏み出せなくなってしまっているのかもしれない。お互い持ちつ持たれつの関係で、お互い幸せな感じになるといいな」と。
踏み出せなくなっている人の前に、気づいて手を伸ばす人がいて、その手を安心できるものと感じられたら、その人は一歩踏み出してみようと思えるのではないか。そして、その繰り返しが今度は誰かに頼られても大丈夫だという自分への安心感となって、だんだんと持ちつ持たれつの関係となっていくのではないか。そんな風に思います。
資料:
*NHK ドキュメント20min. 弱いロボット、出会いの旅
弱いロボット 岡田美智男著 2012 医学書院
臨床心理士・公認心理師 石澤 桂子